君の名は。と天気の子を観て
立花 瀧,宮水 三葉,宮水 一葉,宮水 俊樹,勅使河原 克彦,奥寺 ミキ
- 序盤の猛スピード展開
- 勅使河原 克彦はなぜ三葉の手助け(犯罪行為)をしたのか
- 立花 瀧はなぜ宮水 三葉の身体のまま逃げ出さなかったのか→彼にとっては彼女の周りの世界までもが彼女の一部であった(瀧自身が三葉であった?)
- 山であの格好で雨に濡れながら歩いてたら夏でも死にます
- 長過ぎるエピローグ→秒速5センチメートルを意識
- 唐突な恋愛要素による脚本の「空き」
天気の子
森嶋 帆高,天野 陽菜,須賀 圭介,天野 凪,須賀 夏美,立花 冨美,高井刑事
- グランドエスケープでカタルシスを与えるための構成
- 戯曲か?ってぐらいわかりやすい幕間
- 「拳銃」の象徴:力(特に社会の)
- 拳銃を2度撃つ帆高,1度目の帆高と陽菜の雷
- カタストロフィックな晩餐,その後ろで流れる音楽
- 主人公たちが戦っているものは本当に社会なのか?そもそも戦っているのか(始終逃亡しかしていない)
- 須賀 圭介は森嶋 帆高なのか?
- 拳銃を捨てる帆高→手錠をつけられてもなお振り切る,凪の「お前のせいだろ」という言葉が彼を元気づける
- チョーカーと指輪(と手錠)
- 指輪は陽菜と帆高をつなぎとめる一本の糸だった
- 「大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての大丈夫になりたい」
- 都会における匿名性,バックグラウンド
- 須賀=最後に責任を放棄,主人公たち=受け入れて前に進む
- 農業大学に入る
- マリオにおけるピーチ姫
対比
- 物語の始まり:超自然的な力と「家出,人工的な拳銃」
- 物語の世界:田舎(特に君の名は。では,田舎=脆く今にも崩れ去りそう,斜陽,廃れていく伝統;東京=未来ある存在)と東京
- 主人公たちの対等性:入れ替わりと「巫女↔拳銃」
- 立花 瀧と森嶋 帆高の年齢差(実年齢は1歳しか違わない)
- 境界線の描写:彼岸と此岸(山の稜線,黄昏時),幽世(晴れと雨の境界線,空中)
- 主人公たちの互いへの思い:君の名は。では非対称?
- 終わり方:世界を救った事実は残るが当人たちは何も覚えていない(ヒロイズムからの脱却)↔世界を壊したが当人たちしか覚えていない(責任感)
- 非セカイ系とセカイ系
- 声優:求められている演技の違い(ガキ臭さ)
- ヒロインとして与えられた役割:主体性を持つ三葉と所属物に徹する陽菜
- 主人公たちのコミュニティの存在:ありとなし
参考
- なぜ帆高は「僕たちは世界を変えてしまった」と2度言うのか──『天気の子』における自然と責任の衝突 https://unleashmag.com/2019/08/23/tenkinoko_review/
- なぜ陽菜のチョーカーは壊れ、帆高は高島平に向かうのか【『天気の子』考察】 https://note.com/loudplaces/n/nc317430cc90c
三回目の天気の子(6/10)
- 船から見る美しい東京,その直後に感じる都会の雑踏
- 帆高はキャッチャー・イン・ザ・ライをブックオフで売ったのか?(身分証必要)
- キャッチャー・イン・ザ・カブキチョウ
- 仕事でN回拒否られるところとホテルN回拒否されるシーンの対比
- なぜ須賀 圭介と天野 凪は廃ビルにたどり着けたのか?→須賀はGPS,凪は夢で廃ビルを見たという描写がある
- 太陽の光が当たる映像のマジック:雨→晴れに天候が変わることによってビルとかが光の衣をまとってるかのような演出ができる.これを自由に操れるシナリオの強み.特に,終盤のクライマックスで晴れと嵐の役割が逆転している
- 立花 冨美がいうお彼岸の話.仏壇の前と鳥居の前には共通の🍆が
- 飛行機というモチーフと電車(環状線)というモチーフ (飛行機が飛んでる→欠航→また飛ぶ)
- 須賀 圭介の事務所にあったブラジャーとメモ:どちらも明日香さんのもの?
- 空の上で帆高の手錠を掴み手繰り寄せ手を握る陽菜
- 廃ビルのシーンで銃を下に構える老刑事と帆高に向ける若い刑事(暴力の象徴?)
- 手塚治虫のキャラクターを思い起こさせる顔の造形
- 天野家カレンダーにあった陽菜15歳のマーク(それを回想する帆高)
- 空の上で手を繋ぐシーンは実質セックス
- 「俺が選んだんだ!陽菜を!この世界を!」というセリフ
- 須賀の「世界はもともと狂っていた」というセリフ
- 帆高の「みんな気づいているのに知らないフリをして!」というセリフ
- 君の名は。と比べて極端に個性を排除したキャラクターづくり→現代の社会を風刺している→その上でメッセージを送っている
- 脚本と密接に関係する2つの疑問「なぜ帆高は船の上に雨を浴びにいったのか?」「なぜ須賀は窓を開けて事務所を水浸しにしたのか?」
- 彼らは果たして世界を変えたのか?→異常気象からの巫女の生贄という伝統を変えたということならばそれは循環からの脱却となり,参考文献の評論のメッセージと一致する
- 天気の子の舞台は2021年,君の名は。で瀧と三葉が出会うのは2022年.帆高と陽菜が世界の形を変えてしまったことで瀧と三葉が出会わないパラレルワールドに分岐した!?(瀧と三葉が不幸の例外になるわけがないので)
参考2