日本沈没2020を観た
湯浅×ネトフリ 第二弾
- 徹底的に登場人物の内面を削いだ描写
- 「悲しいことが起こっても当事者たちには感情を整理する時間すら与えられない」というメッセージ,そして視聴者にもインスタントな感情移入は許されない
- 焦点が当てられているのは武藤家ではなく,『震災が起こった後の武藤家』
- 悲惨なことが起こっている場面で感じられる視覚的,聴覚的な安らぎ(対位法?)
- 牛尾 憲輔の美しい音色(使い方がどことなく映像研最終話っぽい)
- 写真を撮るというモチーフ→登場人物の独白だと思われていたものはすべて記録
- 「あとに残るのは記録だけなのだ.しかし,現代はそれが可能だからこそ感情をセーブして前へ進むことができ,後に思い起こすことができるのだ.」というメッセージ
- 湯浅作品で多用される『走る』というモチーフ
- 歩の足の傷,罪の意識(初めて意識するのは1話の終わりだということに注意),足の切断と贖罪,そして未来への歩み
- 1話の歩が走るシーン:雲から逃れるようなカットは歩の本質を捉え描写している美しい表現
- 9話で先輩が走るシーン:鳥肌が立つ
- 10話でKITEが自らを奮い立たせるシーン:鳥肌が立つ
- オリンピック=自分で国籍を選んで参加,新たなナショナリズム
- オリンピック→パラリンピックの変化
- いつでも死ねた小野寺(=障害のある人間)が生き残ったというメッセージ
- ↑彼を生かしておいたシャンシティ(この子にも尊厳が与えられる理想郷を作りましょうよ)→今の日本はそうではない?
- トラックを若い男から奪うシーンは何を伝えたかったのか?→あの男は震災の象徴であり,彼を殴るという行為は今までの理不尽さに一矢報いるというエクスタシーを感じられる(彼女たちはそのような意味付けを選んだ)
- ダニエルナニモン?→ナショナリズムの新しい形
- あのじじいナニモン?
- KITEは生きている?→「負け無しだ!」
- 最終的に,震災と未来への希望というメッセージを限定性の弱いキャラクターを用いてナショナリズムと区別し表現,一貫して前向きに描ききった今作はポスト東日本大震災の映像作品の中でも異類の快作である(適当)