とらドラ!を見た
- 2つのワード「逃げ出さない」「壊れない」
- 2期のOPで北村がいなかったのは、彼の逃げ出さないテーマが終わったから
- 逃げ出さないということは力=若さが伴わないとできない→では元会長は?(暴力を振るったけど逃げ出した、大人になるために自分を縛る元会長、二面性)
- 故にこの作品では力(暴力)=若さ=逃げない、という三体構造が成り立っている(例:最終話で逃げ出さずに来たやっちゃんに対する大河の「やっちゃん子供みたい」というセリフ)
- 故に暴力はこの作品の中では根幹モチーフである
- 最後に大河がいなくなった理由:初夜(と便宜上呼ぶ)の竜児のセリフに集約されている。(二人で逃げずに、壊さずに、全員で幸せになろう)
- 「壊れない」大河のクリスマスツリーの星も壊れたが壊れていない。やっちゃんと親との関係も壊れていない。だから大河の母親との関係も壊れてなんかいない→時間をかければ直せるという意味
- これは櫛枝が与えた示唆だろうか
- キスをする位置が徐々に上がっていくの良いよね。これって原作に描写あり?
- あーみん「わかってくれる人が一人いれば、それで十分なんだよね。たとえそれが恋じゃなくても」
- 「虎と龍は並び立つ…傍らにいなくても…この気持は壊れない」
- 8話で「竜児は私のものだ~!」って言葉、所有物という意味合いなんだろうけど誰がどう聞いても恋人宣言だよねって話
- オレンジより「傷つきたくない 私は逃げてた そしたら光も 射してはくれない」
イヴの時間を見返した
- 基本事項として、作中ではロボットにも感情がある等のことを言いたいわけではない。「イヴの時間」で人間らしく振る舞うのは、ルールによってコードを書き換えられているからであり、それが本質というわけではない。むしろ本質はその奥にある。→と思った直後のカットで否定されて草
- 人の端末の写真どしゃーってやるのカスすぎて草、ぶん殴れよ
- 様々な解釈が出来る本作であるが、監督公認の主題は「アンドロイド=他者」 そのため、人間社会に溶け込んでいるアンドロイドは“いかにもロボット”と感じさせる外見にはせず、 判別できるのは頭上のリングだけに留められている。
- コミカライズでは、社会に流通している大半のアンドロイドに人間と同様の心(自我)があるため、「イヴの時間」は普段人間の前ではロボットのフリをしているアンドロイド達が自分らしくいられる場として提供されている。
- アンドロイド=他者、という認識を登場人物が持っていることが違和感につながる
SSSS.DYNAZENONを見た
- 1話開始2分半くらいで止め絵カット、これGRIDMAN1話(?)でも見た
- BGMが流れない、代わりにテレビの音を執拗に使う、視聴者に不快感を与える
- お前騙されてたんだよ!→本当なの?でよもぎの顔を拡大していくのおもしろ
- 繋がりのないカットを声優の演技で強引にアニメにしてる感がして苦手
- 変身のときのオーイシマサヨシがロボの中からだと加工かかって聞こえるの面白い
- カットの不連続性が動画(静止画)をペタペタ貼り付けてる感じがして編集者の存在を自覚してしまう
- 5話の「…自殺/」で引くの上手かった
- 普通、死んだ姉の話聞きに行くときに同級生の男連れて行くか?制作陣、今どきの学生の感じ出そうとして逆に人間味消しちゃうヘマしてない?→しかもチームのみんなに話してるし。異常
- 6話のこよみの回想、良い
- 怪獣の発生に対する説明が8話まで無いの、恐ろしいほどの自信だな。まあ失敗してるけど
- 8話すごい良かった。1話で完結する面白さだった。結局、あの怪獣には自我のようなものがあった→だから操れなかった(?)、優性思想の褐色の男の子が他の団員を誘導した(?)。途中、チームメンバーがインスタンスドミネーションする→よもぎがつられてやって何かを感じるところは鳥肌が立つぐらい上手い脚本だと思った。1話からずっと見てきて唯一なにかアニメっぽい作りを感じた回だった。
- 9話、もう入りから面白いもん、ずるい。1~7話何だったん?
- 特撮と世界系の違い
- 「俺にしかできないことは俺がやらなきゃいけないんだ」
- 9話、なんかすごい大砲打ち込む前に、アスファルトに楔入れるの好き
- 10話、尖ってるな。五十嵐 海、グリッドマン9話。
- カノがユメを抱いて、自然な仕草で髪をかきあげる(OPにダイナウイングでやる描写)のすごい。いままでもそうしてきたんだろうってことが伺える
- なんかいい感じで終わった
地球外少年少女を見た
アニメ『平家物語』を見る。【1話】
主要登場人物
びわの父
平重盛(櫻井)
平清盛(ハゲ)
平維盛(長男、イケメン)
平資盛(次男、生意気)
平清経(三男)
平有盛(長女)
OP
右上の黒丸、やっぱ実写を意識したエフェクトを使っていくのか。「平家物語」のロゴは非常によくできていると思う。
足ばっかり映すのなにか意図してる?(リズと青い鳥でも山田尚子やってたなあ)なめものの草に花が混じってアクセントになるの、よく出来てるな。誰?のカットイン、徳子?のカットイン、重盛の子らのカットイン、カットインではなくこっち側で振り向く重盛。繋がれた手を起点に回転、カメラに映るごとに対象は変わっていき、その手で自分の左目を塞ぐ→この人達と過ごした経験から得た自らの意思で「見える力」を使う。グレーのエフェクトが掛かっているのは荒れた未来、カットインする華々しい現在。
こちらを見るびわ、その手は右目を隠している、後ろにうっすらと平家の人たち。歌「最終回のストーリー ははじめから決まっていたとしても 今だけはここにあるよ」。変えられない未来を見るより(それと同時に?)、今を左目に焼き付けるという意味か。飛んでいく二匹の鳥(何?)、花と楽器っぽいなにか(何?)、振り向くびわ、びわ。
1話
アバン。淡い光の中(このエフェクトはなに?)のアゲハ蝶(人、登場人物のメタファー)と沙羅双樹(諸行無常、釈迦の死に際)。飛んでいくアゲハ蝶を追いかけるカメラワーク。
大きな背景一枚絵、五重塔。→非常に奥行きのあるレイアウトに瞬時に移動。レイヤーごとにベクトルが違っていて先とは打って変わって猥雑さを表現。
びわの足、左上。びわの父の足、右上。吠える犬、死人。世界を両目で見渡すびわ。カブロの足、びわが振り向くことによって画面に初めて映されるカブロ。刀→顔の順番、ピントは定まっていない(疾走感を表現)。カブロの振る舞いを止めようと前に出るびわを止めるびわの父、杖が落ち、盲人にとっての杖<<びわであることを表現、杖が落ちるときにピントが乱れる。びわの失言を咎めるカブロ(極端な煽り構図)、差し出された手を見て目を強く瞑るびわ(トラウマあり?)、前に出るびわの父。三者の構図が足で示されるが、最前列に震えているびわを配置。いままで父の目を隠していた帽子が刀のカットの次に一瞬で吹っ飛ぶ、爽快感と緊張感。斬られる父、三者の足の構図が逆転している(血しぶきを魅せるため?砂埃もエフェクトがある)、ピント送り。左目が血飛沫を受け押さえると、右目(青い方)が光り未来が「見える」。今までの背景が一変している、死んだ兵、海の渦、耐えかねて目を瞑る。
豪華な酒盛り、この炎の描写いいな。一人頬が赤らんでいない清盛(画面右側)、そちらを見る清盛の妻(画面左側)。間に空間を置き、心の隔たりを表している?。妻は、清盛の視線が踊り子?に向いていることに気づくも、彼の目の前では楽しんでいる素振りを見せる(ここ面白かった)。そして、また一人酔いきれていない男重盛(この重い空気を感じ取っている?)、オッドアイなのは光の加減でまだ明らかになっていない。
出てくる時忠、ここの構図が良い、烏帽子と食膳の列がきれいに並んでいる。しかし異常な量の米だな。膝枕になる清盛、頬を染める重盛、顔をしかめる徳子。踊り子のカメラが動いているのは、清盛はまだ踊り子を見ているということ?時忠の平家トーク、「平家以外人にあらず」の言葉を真顔で聞く重盛。
場面代わって渡り廊下、なんの花?(花が主なモチーフなのはわかった)。清盛に面白くないと言われる重盛(非常にショックを受ける)、今回も足を映すカットあり。ミニチュアを見ながら話す清盛と重盛、先程からそうだが、あえてひとつの画面には収めない。そのくせ、狭い距離感を表したがる。重盛の顔には影が重なってまだオッドアイは見えない。燈火、火鉢、火箸。清盛の今後の話に火箸を重ね、権力のメタファーとする。燈火の明かりが小さくなり→少し爆発する、最後の燈火?
宴は終わりみんな帰っていく、足元のカット。椿、篝火と白くなる吐息で季節の表現。銀箔を貼った竹光の話、面白くないのを引きずる重盛。降ってくる雪、目をこすると発動する左目(びわと逆)、びわのようにオッドアイの強調はまだない、ロード・オブ・ザ・リング3みたいな亡霊。琵琶の音、篝火の中を移動しびわに近づく重盛、訪ねた重盛に対し「びわの右目」を強調し「お前らは滅びる」、重盛が足を一歩踏み出すと「近づくなッ!」(ここ好き)。やってきて刀を抜こうとするモブ、その音に反応するびわ、彼らを片手で追いやる重盛(ここで手を出すときピントずれてた)。画面の3/4にピントの合ってない花を配置し画面を狭くする。初めて重盛の左目が光り、アバンのシーンを語る重盛と、花にピントを合わせたびわ、びわ、重盛のカットイン(どれも目は写っておらず)。重盛は膝を付き、縁側に座っているびわより位置が低くなる、許しを請う重盛と、こうなるとは思っておらず泣き出すびわ、最後に向こうからなめものの花にピントが移る。
場面代わって、なめものの花に雪がうっすら積もっている。このサウナみたいなの何?びわが食事をし終わり、重盛に名前を聞かれる。初めて対面で会話、しかも清盛とは一つの画面に入らなかったのに、あえて1画面で。一緒に住もうという重盛に対し、距離を取るびわ、画面上左端に寄って距離を近づける感じになる重盛。
夜は明け、息子らと対面。あっという間に過ぎる1年とそれを表す花。四季のなんと美しきことか。夏、蛍、重盛とびわの距離はすっかり縮まっている。なめものの草、雪の代わりの蛍。びわの右に座っていた重盛はびわの右目を美しいと言う。遠くへあるき出す重盛は闇に消え、自らが語る闇の中の亡き者と重なる、それに恐怖を覚えるびわ。
秋、狩りに行く資盛、なめものの楓と柱。アオリ構図(びわ視点)で登場する徳子、彼女が何者なのかを説明する資盛(びわに対してであろうから、親密さが伺える)。自らびわに目線を合わせる徳子、女なんて。ここで、右目を瞑ることで左目が発動することがわかる。見える、溺れる徳子。
ボコボコにされた資盛。奸計(殿下乗合事件)を巡らす清盛。非はこちらにあると咎める重盛、面白かろうと押し切る清盛。
場面が変わり、何者か(後白河法皇?)がこれを全く面白く思わなかったことが明かされる。
追記
- OPで重盛と繋ぐ手のカット間の矛盾は作画上の意図的なものかもしれないという味方は面白かった
- 重盛とびわの邂逅シーン、びわが「おとうは何も悪い事してない」というのは純粋な彼女の気持ちが出てしまった言葉だろう。そもそもびわは平家におとうのことを咎めようとやってきたわけではない(自分の失言が招いた結果だと理性ではわかっている)が重盛に予想外の態度を取られて心の中が出てしまったと考えるべき。初見での違和感は解消
- 悠木碧の演技も凄ければ櫻井の演技も良い
- 「いやだ、先は見ぬ」のあと、逡巡して「おとうが見るなといった」と言っている。なぜ?
- びわのどちら側にいるかも重要な意味合いを持つと考えられないだろうか。OPのおとうは右側(青い目の逆側)にいた。最初重盛もそうだったが、後に左側に移行している。維盛(長男)は最初から左側。徳子は右側。
- 清盛と重盛が対等に1画面に収まっているカットは(贔屓目に見て)存在しない。背を向けて歩くカットと資盛を挟むカットは対等ではないとする。
- 白髪のびわ(?)が左を向いているのはなぜ、右目しか映らないのは過去の話だから?
- 亡き者(過去?)が見えるという重盛の右目はオレンジ色。OPで映るびわと父の回想もオレンジ色
マギアレコード2期を見た
- カットの不連続性は前期から受け継ぐ個性か、はたまた下手さか
- バトルがサブ的な位置づけだったまどかマギカ本編と比べてバトルを軸に据えた構造になっているのはもとがソーシャルゲームゆえだろう。そのため、バトルの作画と演出に力を入れているのは間違ってはいない
- 隅々まで凝った演出が素晴らしい!
- 楽しそうな環に線香花火をかぶせる=儚い夢の暗喩
- マミさんのテーマである「Credens justitiam」のアレンジを環とクロエのコネクトで流すのは頂けないなあ…
- 作画はすごいけど…何やってるかわからなくてつまらん
- 最終話良かったなあ!
- まず、マミさんの強さだけでなく弱さも理解されるエンドってなにげにこれだけ?Credens justitiam流れて号泣、みんなで見滝原に帰っていくのも切ない(ワルプルギスがきているので全滅確定)
- クロエのエピソードが非常に良かった。アニメオリジナルの存在が脚本に関わることに対するメタ的な演出で震えた
傷物語を見た
- 日常シーンのテンポの悪さはあまりにもひどい
- 代わって、バトルシーンでのパニック・ホラーとユーモアの両立には眼を見張るものがある。作画はべらぼうに良い
- そもそもパートを3つに分けた時点で作品として終わってる。鉄血篇は全く要らなかった
- 非バトルパートの絵コンテ切ってるやつ、アスペか発達障害だと思われる。人間の感情の動き、緩急が異常すぎる
- カットが不連続性すぎて辛い
- 自殺は罪じゃNEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!
- 緩シーンが長いくどいうざい
- ブラ外すシーン一番クオリティ高い
- この一連のシーン映画館でみたくね~~~
- 「acme」は流石に笑う
- へぇー、俺ならキスショットとともに生きるけどね
- 絵の縁が筆タッチになってフレームレートが落ちる作画ってナンナの?よく見るけど